羽田野直子です。
清澄白河にある東京都現代美術館の「MOT ANNUAL 2010」(4月11日まで開催中)の内覧会へ行って来ました。
若手のアーティストに作品発表の場を提供する展覧会として10年目を迎えた今年のテーマは「装飾」。
そのテーマに沿って10人10様の「装飾」というコンセプトを体現した作品が見られます。

 

約650×350cmの大きな紙に気の遠くなるように繊細な(数ミリ単位ですよ!)切り絵の文様を施して、その後ろの白壁にシルエットを映している塩保朋子さんの大作はほんとうに驚きものでした。
おそらく、あんぐり口を開けて見惚けて立っていた私にステッキ片手のおじさまが「こりゃー、最初から気がふれていないとできないねぇ・・・」と話しかけてこられました。
内覧会では傍に作家ご本人がいらっしゃることが多いので曖昧に微笑むと、「だって、こんな作業続けたら、常人は絶対に気がふれるでしょ?」とさらに同意を得ようとされたのですが、何となく私が気にしていることを理解されたようで「うーむ、すごいや・・・」と顎をこすりながらその場を去りました。
何だか大正か昭和初期の雰囲気を漂わせる中村嘉葎雄さんのような不思議なおじさまでした。

 

石鹸に沈金に使うような鑿で細密な文様を彫った小川敦生さんは、職人さん気質のそれでいてさっぱりとした人。
作品の素材がエポキシかしらと鼻を近づけていたら「石鹸です。今日は内覧会だから作品に触ってもいいですよ。玉の肌石鹸だからつるつるになるかもしれない」と気さくに話しかけてきてくれました。
この展覧会が終わったらこの石鹸はどうなるの?という問いに「スタッフやここの学芸員さんたちに切って配ります」という太っ腹ぶりで、取り囲んでいた女子数名は「いいなぁ・・・」と一様にに溜息をつきました。

 

他にもお塩で会期中も広いスペースに延々とナスカの地上絵のように細かい唐草文様をインスタレーションし続けている山本基さん、陶磁で有機体のような装飾におおわれた頭骸骨を作ってある神秘性や秘儀性のようなものを表していた青木克世さん、もう折れてしまう直前まで細かく細かく彫った、彫刻というものからその本質ともいえるマッシヴなものを取り払った森淳一さんなど他にもそれぞれほんとうに興味深い作品がありました。

 

現代美術は難しいという声をよく聞きます。
それはコンセプトだ、既存の芸術の解体だ破壊だなどと理屈が先にあるように見えるからなのでしょうね。
特に日本人はよく印象派止まりと言われています。
印象派だって絵画を額縁から解放しようとしたという意味で既存の絵画の概念を打ち破る先駆でもあるのです。

 

私がまだ脚本家としてデビューする前に文化の日の番組企画で現代美術を提案したことがあります。
いまはもうお亡くなりになった東野芳明先生に多摩美の研究室で、直接いろんなお話を伺って他社が提案する印象派に負ける公算大だったけれど、全力を尽くして面白い企画にしましょうと盛り上がったのを思い出します。
その時香港にあったアート市場が日本にやって来た時に相変わらず印象派までしか買わない土壌はいけない、若い才能を応援するためにいい番組をつくって啓蒙するんだ!なんて言って。
結果は負けでしたが、その時にご教示いただいて勉強したことはいまでも役立ち、東野先生に感謝することがたびたびあります。

 

喰わず嫌いはもったいない!
まずはみなさんも現代美術にふれてみてください。
自分で触るという行為を退化させてはいけません。
東京都現代美術館のキューレーションにはいまあの金沢21世紀美術館を成功に導いた長谷川祐子さんも参画されています。
実現が難しい企画を通していく彼女のバイタリティーには誰もかないません。

今月14日まで開催されているレベッカ・ホルン展もお勧めです。
機械仕掛けのポエジーと言えるなかなか素敵な作品がありますし、フィルムも見られます。