羽田野直子です。
少し前に「テーブルウエア・フェスティバル2010」という催しで東京ドームへ出掛けました。
以前徳島県で開催された国民文化祭のプレイベントで徳島県特有の「遊山箱」なる子供用のお弁当箱(持ち運べるように取手がついています)を取り上げたときのご縁で知り合った『いちかわ』の市川貴子さんがこのイベントで遊山箱を展示するのに協力されたので上京、お会いしましょうということになりました。

 

私は焼き物や古道具には多少興味もありますし、お料理に季節を取り入れるための道具としても器が大好きです。
しまう場所に困ることがわかっているにもかかわらず、旅先などでいいものや好ましいものを見るとつい求めてしまいます。
会場には著名人によるテーブルセッティングが展示されていました。
ヨーロッパの貴族の館に似合うような素晴らしいダイニングセットにゴージャスに生けられた洋花、これから出てくるであろうお料理にドキドキするピカピカに磨き上げられたカトラリー、金の縁取りの華麗なお皿たち・・・でも、ふと自分がそうしたものに全く惹かれていないのに気がつきました。
実際に最近は洋物に手を伸ばしていないことにも。

 

ここ2、3年の間に求めたものを頭の中に並べてみます。
有田の深川製磁のお急須、小鹿田の坂本茂木さんの大きなすり鉢(辰巳芳子さん仕様)、笠間の筒井修さんのお鉢、銀座の「日々」で見つけた焼き締めのお急須・・・。
そうしていま欲しいと思っているのは、伊賀の福森雅武さんの黒鍋。
歳のせいなのでしょうか、日本のものに心が向かっている自分がいます。
40過ぎて始めたことが香道、俳句、お着物の着付け(忙しくて香道や着付けは休んでいますが)・・・ときていますから確かにそうだといえるでしょう。

 

徳島の遊山箱について一体どのくらいの人がご存知でしょうか?
遊山箱は子どもがランドセルより前に親から与えられる大切なお道具です。
おひな様やお花見の頃に徳島では「遊山の日」を決めて親が普段忙しくてあまり構ってあげられない子どもたちのために少ない食材を工夫してお煮染めや卵焼きにのり巻き(関東でいう太巻き)、デザートに雪ウサギ型に切ったリンゴ、ういろうまで—時にはおじいさんやおばあさんまで借り出されて—用意します。
子どもたちはその日遊山箱を下げてあちこち遊山します。
しかも小さなお弁当箱だからすぐに平らげてしまうので行く先々のお宅で何度もお料理を詰めてもらえるという風習があったのです。

 

でもこの素敵な風習はいつの頃(昭和30年代)からか、廃れてしまいました。
その復活のきっかけは徳島大学に赴任された三宅正弘先生(現在は武庫川女子大学准教授)の地道な発掘作業ともいえる研究でした。
「遊山箱」という言葉を発しただけで、50代以上の男女が目を輝かせてそれぞれの思い出を生き生きと語る・・・その不思議な玉手箱のような遊山箱を復活させることによって現代のいろんな問題に立ち向かうことが出来ます。食育、地域コミュニティーの再構築、日本文化の再発見・・・。遊山箱を徳島だけのものにしておくのはもったいないのです。

 

 

ところで、ある学校の先生に信じられない話を伺いました。
ひとりの父兄が「うちの子には給食の前に『いただきます』と言わせないでください」と言うから理由を尋ねると「うちは給食費を払っていますから」とのこと。
まさに口あんぐり!
そのような人になんと応えたらよいのでしょう。
「生命を『いただきます』なのだ」と誰も教えてくれなかったのでしょうか。

 

友人と食事をするときに「何にする?フレンチ、和食、中華?」と気軽に私たちは言います。
その自由さを私は好みますが、それにしても自分の国のご飯に「和食」という呼び名をつけてしまっているのは世界でもかなり特異なことなのではないでしょうか。
私は国粋主義者でも何でもありません。
でも自分の背骨のありようについてきちんと考えるときにさしかかってきたのだと思います。