羽田野直子です。
最近気になる言葉に「枯れないひと」というのがあります。
多分女性雑誌の見出しで何度か目にしたのだと思います。
その雑誌を手に取ったわけではないから推察ですが、要するに老けないってことなのかしら・・・と思います。
だからお化粧の仕方やお洋服の着こなしを指南してくれているのでしょうか。

見た目は確かに大事です。
昔に比べたら最近、お歳のわりに若くてきれいだと思う方がとても多くなっています。
でも一方で若いってことがそんなに大事かなぁと思ってしまうのです。
「私若いでしょう!」の頑張り過ぎは何だか見ていて痛い気がする。
自分のことを顧みても、だんだんGに負けつつある身体の線や顔を直視せずに若者と同じお洋服は変ですし、でもかといっていかにも「おばさん」という格好をするのもイヤだし。
あぁ、そういうさじ加減がわからない人が参考にするのかしら、雑誌の「枯れない」特集を。
だったら私も見て参考にしたほうがいいのかもしれませんね(笑)。

 

私たち、物書きにとって好奇心や感受性が「枯れない」ことはほんとうに大事です。
「生命線」と言っても過言ではないでしょう。
何かを知りたいという欲求や見たもの、聴いたものに心を動かされることが執筆(いまは指先でピアノを弾くみたいな格好ですが)の原動力なのですから。
それはどうしたら枯れないのでしょうか。

 

ひとつ心がけていることは「見たい」とか「行きたい」と思ったら行動をおこせ!です。
いろいろ億劫がって手をこまねいているのはいけない。
私の俳句の宗匠、小沢昭一さんは昨年傘寿を迎えられたのですが、句会の場所におひとりで電車を乗り継いでいらっしゃいます。
先日の句会でも「歳とっても外へどんどん出て行くのが元気なコツだね」とおっしゃっていました。
身軽でいること—これはなかなか大変です。
人は長く生きているといろんなものを溜め込むものです。
ものに限らずしがらみやら責任やら・・・。

大人として社会や子どもたちへの責任は当然背負うべきものですが、勝手に思い込んで背負い込んでいる要らないものが案外重たかったりするんですね。

 

今日久しぶりに着たダウンのポケットに手を突っ込んだらどんぐりがひとつ。
去年の秋、近所の子どもたちと井の頭公園で拾ったものです。
子どもたちといつもの場所へ行くとそれはそれは別のものが見えてくるから不思議です。
目的地に着くまでジグザグ、ジグザグ・・・その間の楽しいことといったら。
見慣れた風景やものを別の視点で見る—この行為も「枯れない」ヒントになるかもしれません。
身体を重たくしている要らないもののひとつ、偏見や思い込みを取っ払ってくれます。

 

あ、
雑誌の「枯れないひと」特集にもヴィジュアルだけでなく読書や展覧会に食事、旅、あとは恋の勧めなど多岐にわたって載っていたのかもしれません。
女性雑誌だからと見もしないで偏見を持っていた私は「枯れるひと」へのちびイエローカードものでした。
いけない、いけない。