羽田野直子です。
先日上野に行ってきました。
まず都美術館の「ボルゲーゼ美術館展」へ。
以前ベルニーニの彫刻を見たくてローマに行ったのに、建物の修復のために閉館していたからそれを期待して行ったのですが、お目当ての彫刻は持ってくるのが大変だからか一体のみ。
あとはルネッサンス期の宗教画が主で、ポスターになっているラファエロの一角獣を抱いた婦人像とカラバッジョの聖ヨハネの絵が目玉でした。

 

私は宗教画が少し苦手です。
いくらマニエラ(手法)を試行錯誤しているといっても、ただ美しいだけの挿絵のように思えてしまうのです。
私に信仰がないのと、実際に画を描いている方たちのようには苦心のあとや微差がわからないせいでしょう。
今後の課題です。

 

そのなかでカラバッジョが圧倒的に際立っているのは、作品にパッション(情熱と受難)があるからだと思います。
その後オランダの画家たちにも影響を与えたと言われていますし。
また彼の生涯もドラマティックですから映画化されています。
今年生誕400年とかでそれに合わせて出来てから2年も温存していた「カラバッジョ」が銀座テアトルで上映中です。
撮影がストラーロだからちょっと惹かれていますが、単なる文化映画(古い言い回しだ)の可能性も高くて行けていません。

 

その後国立博物館の「土偶展」へ。
最終日が近かったせいでなんと40分待ち!
もともと去年の秋、大英博物館で行われて好評を博したもののいわば凱旋展です。
ようやく会場に入ってみると、日本全国(と言っても土偶は長野県以東でしか出土していませんが)から集まった土偶が60点余り。
そのおおらかでプリミティヴな姿はのどかでホッとさせられるものがあります。
どこかアフリカのものとも繋がる何かも感じました。交流のなかったうんと離れた地域で類似した古い民話が見つかるような何か。

 

ふと「ろくすっぽフンドシもつけてねぇような奴らが作った土器(かわらけ)なんか・・・」という言葉を思い出してひとり笑ってしまいました。それは俳優で随筆家の池部良さんの父上、洋画家の池部鈞さんの言葉です。(池部良『そよ風ときにはつむじ風』より)
池部父は芸大の同級生で生活に困っているお友だちのところへ味噌や米を持たせて小学生の息子(良)を使いにやります。
ところは大森(縄文末期の貝塚が発掘されたところ)。息子はそのお友だちの話—ここは太古の昔、縄文人が生活していたんだ、それを想像していると胸がワクワクしてくる—にすっかりかぶれて、その辺りを掘って土器の欠片をひと山持ち帰り想像に耽ります。その息子の姿をみて発せられたのが「ろくすっぽ・・・」という言葉。
その後日談です。
池部家に来た鋳掛け屋さん(鍋や釜などの補修をする人)の父親が陶器の補修をすると聞いて、池部母が欠けた古伊万里の大皿を託そうとしたら池部父は「こんなどこの馬の骨ともわからねぇ奴に古伊万里を任せられねぇ」と言い、息子に「あれ、持ってこい」と命じます。大森で掘って来た土器をちゃんと接げたら古伊万里を頼むという話にしました。
数ヶ月後、鋳掛け屋さんがたいそうな桐箱を持って池部家を訪ねます。
彼の父は帝室博物館(いまの国立博物館)のご用職人でした。桐箱から見事に接がれた土器(足りないピースも補って接いであった)を出しながら鋳掛け屋さんは言います。
「親父も意地でした。博物館の館長先生にお見せしたら『一体いくらならお譲りいただけるか』と・・」
それを聞いてあんなにバカにしていたくせに池部父は
「そうかい、そうだと思ったんだ。鋳掛け屋さん、修理代は言い値でいいよ」
と言って顎をさすったのです。
「なんてぇ、親父だ」というふうに池部良さんは描いているのですが、私はこの父子の有りようが好きです。

 

池部鈞さんになったつもりで・・・
「理屈だけじゃねぇ世の中ってぇもんを子どもに教えるのも親の役目だぜ」
「何でも杓子定規にし過ぎるのをちょっとやめちゃぁどうだい。え?」
・・・なんてつぶやきながら剽軽な土偶の姿を見ながらへらへら笑っていたのでした。
傍から見たらあやしい人だったかもしれませんね。