昨年脚本を書いた、福井県立恐竜博物館で上映されている短編アニメーション映画の試写とプレス発表のために福井へ行って来ました。
福井へ行くのもこの仕事だけで三回目。
描くアニメの主な舞台が博物館でしたからシナリオハンティングのために二度伺ってそれぞれ半日ずっと、表の展示だけでなく裏の学芸員の方たちや事務方のみなさんがいらっしゃるところもくまなく見せていただきました。

 

新幹線で米原まで。
北陸本線の特急に乗り換えます。
車窓からの景色を眺めていると、長浜の辺りはまだ古い街並が残っていて瓦の色が小雨の降る曇り空と相俟っていい景色です。

 

歴史好きの私はすぐに戦国時代へと思いを馳せます。
その時、さあっとあざやかな黄色が飛び込んできました。
下校途中の小学生の合羽です。
みんな傘を持たずに合羽を着る—というよりすっぽり被っているのでした。
両手が自由で楽しそうだなと思っていたら一瞬「賤ヶ岳古戦場跡」の看板が。
賤ヶ岳の戦いは信長亡き後の織田家の覇権争い—織田家を支えて来た古参の重臣、柴田勝家と草履取りからのし上がった新興勢力、羽柴秀吉の戦です。

 

そのうち、電車は次々とトンネルに入り携帯は圏外表示になります。
そうして敦賀に到着して福井県に入ったと思った途端に今度は地の底を這っているように感じるほど長い北陸トンネル(13キロ)を走ります。

 

信長が本能寺で亡くなった後、勝家は長浜城に入城することを勧められたにもかかわらずそれを断ります。
長浜は京都から近い地の利のあるところ。
それを断ってみすみす自分に不利になるような、山深い越前に行ったのはなぜでしょう?
戦場の賤ヶ岳に到達するまでに柴田軍の兵がどれだけ体力を消耗していたか・・・たしか越前を出立したのはまだ3月になる前だったはずですから雪の中の行軍です。
律儀なイメージの前田利家が最初柴田勢にいながら、事実上裏切って戦線離脱したことが直接の敗因ですが、長浜城にいれば勝家は負けなかった。
長浜を過ぎてから通って来たトンネルの多さと長さでいっそうそのことが身にしみてわかります。

 

そんなことを考えながら、福井入りしました。
お昼に炭焼きの鯖と手打ちのきりっとしたおろし蕎麦をいただいてから橘曙覧(たちばなのあけみ)という幕末の歌人の文学館と茶道の博物館を見てまわりました。
もう少し時間があるからと、連れて行っていただいたのは町中の小さなお寺、西光寺。
勝家とお市の方のお墓があるのだそう。
なんてタイムリー!なのでしょう。
さっき列車の中でずっと考えていた人のお墓です。

 

お市は戦国時代を代表する悲劇のヒロインです。
信長の妹でその美貌故に政争の道具として二度嫁がされ、二度とも落城の憂き目にあい二人目の夫勝家とともに自死を選ぶ。
残された三人の娘(浅井長政との間に生まれた)は秀吉の側室となって秀頼を生むお茶々こと淀君、京極高次の正室となったお初、二代将軍徳川秀忠の正室となり三代将軍家光を生むお江(来年の大河ドラマのヒロイン)です。

 

小さなお墓がふたつ、寄り添うように並んでいました。
お寺の境内に幼稚園が併設してあって、子どもたちがお迎えのおかあさんたちと話す声が聞こえてきます。
誰もこのお墓が何かと気に止める様子もありません。
苔むした木に紅梅が満開に咲き誇って、やわらかな香りを放っているだけ。
お墓に手を合わせてそこはかとなく無常に似た感情を胸にお寺を後にしました。

 

翌日の夕方、今度は福井から米原に向けて帰途につきました。
また長いトンネルをいくつもいくつも・・・。

 

長浜城は近江。
前夫浅井長政との思い出の地に暮らすことが辛いだろうとお市の心情を慮った勝家が越前を選んだのだという誰かのフィクションがにわかに真実味を帯びてきました。

 

シナリオハンティングの大事さはその現場へ行ってそこの空気にふれなくてはわからないことがあるからなのだと改めて思い知った旅でした。