羽田野直子のおすすめ、焼き物展覧会
最近相次いでやきものの展覧会に足を運びました。
最初がメゾンエルメスでの細川護煕さんの「市井の山居」
志野、唐津、天目、粉引、井戸、赤楽…おおよそ知っている限りの、否知らないのまで、ありとあらゆる技法をわずか十年でものにして、どれも渋く仕上がっているのに驚きました。
日本橋のあの壺中居で展覧会が開けたのだから、その完成度は折り紙つきなのでしょう。
小さい頃から本物に囲まれていたということですぐれた目利きにはなれたとしても、すぐれた作り手にはなかなかなれないでしょうに。
すごいなぁと感動しました。
ただ、例えば唐津の陶工の家に生まれて一生かけて唐津だけを焼いているひととの違いはあるのでしょうか…。
私たち素人にはわかりません。
そう思うとちょっと複雑な思いがしました。
次はお互いに体育会系文化好きを自認し合う友人とふたりで新国立美術館での「ルーシー・リー」と日本民藝館での「朝鮮陶磁」をはしごしました。
去年の「ルーシー・リー」は会場の照明が暗くて色とテクスチャーがよく見えず、また発掘現場に土器をそのまま置いたのを遠くから見るような(笑)展示になっていてちょっと不消化でしたし、また今回はルーシーの初期から円熟期まで余すとこなく見られてとても充実していました。
やはりやきものはフォルムだけでなく、テクスチャーと色も大事です。
釉薬の変容による溶岩のようなテクスチャーや彼女独特の掻き落としの技法など、ようく見ることが出来ました。
また、ルーシーのはよくブルーのものがポスターになっているのですが、私は今回彼女のピンクに魅かれました。
ピンクほど幅が広く、品の良し悪しが出る色はないと思いますから私はめったに選ばない色です。
サーモンピンク系のものなら割と安全なのですが、ルーシーのピンクはイチゴミルクのピンク。
可愛いのだけれど、妙に媚がなくて温かさもあるピンクでした。
あと花器にまるで朝顔の花か帽子のブリムが乗っかっているみたいなフォルムが妙に心に残りました。
ふたつのパーツを組み合わせて作ったこの花器をルーシーはいくつもいくつも作っています。
続いて駒場の民藝館へ。
こちらはいつ来てもどなたかのお家を訪れたようなホッとした心持ちになれますから、一年に何度も来てしまいます。
朝鮮のやきもののいいところはおおらかでひとの手触りを感じられるところだと思います。
白磁も青磁もピカピカ、ツンとしていない。
大きな壺も完全な紡錘型ではなく、どこか首を傾げていたり、片方の肩をちょこっと落としているような風情で、ほっこりした心持ちになれる。
現代のようにいろいろなものがコンピューター制御でかちっと出来てしまう時代だから、こうしたものに魅かれるのでしょうか。
李朝の箪笥もそうですが、朝鮮半島のこうした生活道具はモダンなインテリアにもしっくり来るのはこの辺りに秘密があるのかもしれませんね。
日本の和箪笥は精巧すぎてこうは行きません。
いろいろ見たあとで常設展示へ。
そこでルーシーのあの独特のフォルムの花器と同じ形の漆器を見つけたと友人に呼ばれました。
それは燭台でした。
何か天に向かって灯りを捧げて私はここにいますという信号を送るような印象です。
美という文字は神さまへの捧げものである羊が大きければ立派だからということ—自分の人生をかけて(犠牲にして)美しいものを創ることによって神に対してより高次に向き合うことになる—を思い出しました。
ルーシーの花器のフォルムも本人は意識していなかったにしてもどこかでそうした精神性に向かっていたのかもしれません。
ふたつの展覧会をはしごしたお蔭でちょっと別のことを感じ、
考えられました。
3つの展覧会は会期があとわずかです。
みなさんも是非いらしてください。

