最近、ある本の企画に関わっています。

 

友人と集まってああでもないこうでもないとブレストをしていて出てくるテーマの根底に流れているのが「知は廃れた」です。
学生といわれるひとたちの読書離れの激しいことといったら…。
大学で教えている友人たちの嘆きは半端ではありませんし、新聞社の友人たちからは学芸部や文化部をめざして来た記者のたまごが漱石も読んでいないとか、生原稿を読めない(中には判読が難しい悪筆もあるでしょうけれど)とか、にわかには信じがたい話を聞きます。

 

いったいどうなってしまったのでしょうか?

 

 いろんな兆しはずっと見えていました。
まず本屋さん。
いつの頃からか、コンビニ化してしまいました。
何日か置いて売れなければ即返品!ですからいい本に出会ったらお財布と相談することなく迷わず買えというふうになってしまった。街の本屋さんが扱うのはおもにベストセラーと雑誌とマンガだけ。絶対に買う本はアマゾンで。本の手触りを確かめてから買いたいときにはABC(青山ブックセンター)かジュンク堂のような奇特な本屋さんへ出向くしかないのです。

 

それから図書館。
アーカイヴするという機関だったはずがいつからか民間サービス重視の貸本屋化してしまった。
ベストセラーの例えばハリポタを20冊も買ってそれでも借りる順番がなかなかまわってこないと苦情が来てさらに10冊買い足して…。今度は売り上げの邪魔をするなと出版社からクレームが来て結局裁判になるというおそまつぶり。

 

ここでのキーワード「ベストセラー」の意味をみなさん考えたことがありますか?
ベストセラーは普段本を買ってまで読まないひとが「本を買う」という行為に参加して初めて成立するのです。
笑ってしまいますよね。

 

先日『情熱大陸』というTV番組で松岡正剛さんを取り上げていました。
彼は編集者として『遊』という雑誌を作り、あらゆるジャンルをクロスオーバーしてさまざまな化学変化を起こす触媒の役目を果たしました。そしてその課程で自らも執筆し、展覧会や対談をプロデュースしてきました。
66歳になった今も編集やプロデュース、そして著作を通して「知」の面白さ、楽しさを私たちに伝えようと精力的に活動しています。

 

彼をひと言で表すなら「知の修験者」。
ジャンルを問わずあらゆる本をきっちり読み、何かを掴んで次へと繋いで行く…その知性の体力と深さには頭が下がります。

 

そして同時に「知の伝道者」。
現状を嘆いてなんていないで、いろんなことを仕掛けていくことによってあらゆるひとに「知」の楽しさを伝えています。
丸の内の丸善にある松丸本舗を見に行けばわかります。

 

そうだ、ここで諦めたらおしまいです。
子どもたちや学生に学習と勉強の違い、情報と教養の違いをちゃんと伝えて「知」の楽しさを思い知らせなくてはなりません。

 

そのためにはまず自分が…と前向きの勇気をもらったのでした。

 

「書を捨てよ、町へ出よう」ではなく、「書を携えて、町へ出よう!」