この秋は、かなり集中的に旅をしました。
まず、10月末に、瀬戸内国際芸術祭。
高松市内の港の近くに宿を取り丸二日間、瀬戸内の島々(直島、犬島、豊島など)に点在するアート作品をできうる限り見てまわりました。

 

以前古くて新しい観光資源というテーマでまだ見に行かないうちに「成功した例」として書きましたが、ツイッターで地元と開催者側との間に軋轢があるということを知ってちょっと心配していました。
直島に比べて他の島は急激な変化に戸惑ってしまったひとが多かったのでしょう。
もともと過疎地でお年寄りが多い場所です。
彼らは新しいことが起きることに不慣れでしょうし、説明会のような場で即座に意見を述べるというのは気後れしてしまうこともあるでしょうから「あれよ、あれよ…」だったのかもしれません。
美術関係のライターである橋本麻里さんがこの件に関して「合意形成に時間が足りなかった」という主旨のことをつぶやいておられたのもそういうことを見越してのことだったと思います。

 

さて、いよいよ現地に到着。
縁あって約半年間、映画の講義をする友人の助っ人で伺っていた日大建築学科の学生さんの合宿に混ぜていただきました。
島を歩くときにすれ違う地元の方たちになるべく挨拶をするように心がけてみました。
するとみなさん、濁りのない笑顔で親しげに応えてくださる。
豊島で時間が惜しくてぎゅうぎゅう詰めのバスの中からたまたま見つけたタクシーの看板に「あ、タクシーがある!」とひとりゴチたら、すぐにあちこちから口々に電話番号を叫んでくださる(そのタクシーは島に一台しかなくて普段はプロパンガスやさんを営んでいらっしゃると運転手さんが話しておられました)。
道に迷っていたら進んで教えてくださる。
何だか案じていたことがふうっと軽くなる思いがしました。

 

そうして極めつけが直島で、帰りの船の時間が迫っていたのに満員のバスに乗れなくて港まで走っていたときのこと。
一台の軽トラックが止まって中からおじいさんが「乗りなさい」と。
小豆島に泊まる学生たちの船の方が時間が迫っていたので彼女たちを優先的に乗せていただきました(男子は当然走る)。
そうしたら、彼女たちを送った後でちょっとクタビレて歩いていた残りの私たちを拾いに戻ってきてくださった!
感激して島の役場宛にお礼状をと思い、お名前を伺っても「名乗るほどの者ではありません」と固辞なさって笑顔で「またこの島にきてください」と。
『世界ウルルン滞在記』ではないけれど、おじいさんを見送るとき、それはそれはぐっと来てトラックが見えなくなるまで手を振りました。

 

普段着の生活の場にアート作品を共存させるということ。
そしてそこへ私たち外からの鑑賞者はどう入っていくのか。このことを考えながら二日間歩いていました。

 

このことは結局ひととひととのコミュニケーションなのだと思います。
先述の合意形成に時間をかけるといういことがまず大前提でしょう。
それでもいろいろな立場のひとがそれぞれを主張して一歩も前に進まなくなることもあるのかもしれません。
最近どこでも議論のための議論という不毛な場に直面することも多いですし。

 

でもさまざまな価値観のひとがいて多少のズレがあったとしても現場で何とか心を通じ合わせる努力をするということ。
そのことはただ旅人が気まぐれにやって来てゴミと騒音をまき散らしていったということではなく、やはり新しい風を受け入れることでいままで気がつかなかった地元の魅力を再発見できる。そして未来を志向するいい機会とすることができる気がします。

 

レニ・リーフェンシュタインがアフリカの部族を撮影に行って、数年後また訪れたときに文明に染まってしまったからもっと奥地へ行かなくちゃと言ったそうです。
自分が持ち込んでおいてそれはないだろうと怒りを感じました。そうしたことはもちろん論外です。

 

瀬戸芸が終わったあの島々にまた行きたいと思います。
あのおじいさんにもう一度会えますように。