3月公開の『台湾の朝、僕は恋をする』http://aurevoirtaipei.jp/という映画を見てきました。
この映画はエドワード・ヤン監督の弟子とされるアメリカ育ちの台湾人、アーヴィン・チェン監督の長編第一作です。
そして大好きな『ベルリン天使の詩』(1987)の監督、ヴィム・ヴェンダースが自ら「ドイツからの守護天使」と手を挙げて(やさしい彼らしい)製作総指揮を努めたそうです。
エドワード・ヤン監督の作品はいつも楽しみにしていたのに『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)以来、作品が発表されないまま2007年に癌で亡くなったと聞いたときにはほんとうにショックを受けました。その闘病中に傍にいて未完となったアニメーション作品『追風』の脚本の執筆を手伝っていたのがこのアーヴィン・チェン監督だそうです。
とても期待して試写室に向かいました。
入り口で受け取った資料は鮮やかな水色にショッキングピンクで”Au revoir Taipei”と書かれてあって裏には小さなエッフェル塔。何だか可愛いな…と惹かれました。でもいつものようにぱらぱら眺めただけで、予備知識なしで映画に向かいました。
台北の下町が舞台。
恋人がパリに行ってしまって、そのあとを追いたいカイという男の子が主人公です。彼は両親の食堂を手伝いながら、本屋さんで(台湾に図書館が無いとは思わないけど)フランス語の教則本を毎日立ち読みしてフランス語会話を勉強しています。
その本屋さんで働いているスージーが何かとカイに心をよせます。そのスージーのピュアで可愛いことといったら。でも去られた恋人のことしか頭にないカイにはそれが見えてないよう。
同じ台北の下町の空の下、コンビニで働いていて同僚を好きなのに告白もできない心やさしいカオ(カイの親友)、何をしても「なんちゃって」がついちゃうような底抜け小悪党たち、年甲斐も無く(失礼!)恋に落ちてうっとりしている不動産屋の親父さん、やたらマッチョぶってる勘違い刑事とその恋人の話が並行して描かれていきます。
…ここまで読んで『エドワード・ヤンの恋愛時代』を思い出したあなたは映画通です。
いくつもの人々の話を重ねあわせて、それがだんだん絡まっていく。脚本の構成力をベースに台北の町を、そしてそこに生きる人々のパワーをいとおしく思い、少し苦笑しながら描く。
登場人物の設定が師匠のと違って市井の人々なので、より一層躍動感を強く感じました。
「台湾の朝」と題名にありますが、ほぼナイトシーンだけという印象。
そしてこの映画のすばらしいところは見終わったあとはたった一晩の話だったように錯覚するところ。
それぞれの人物たちを観客にある程度認知させるために何日かを描いたはずなのに、一晩に集約できているというのは「映画の時間」、つまりいま目の前で起きていることとして全て現在形であることを貫いていることが成功した証だからです。
それからここで撮られている台北の町がとても魅力的。
スタイリッシュに撮っているわけではないのにどこか外から来たひとの視線で描かれているから、多分地元のひとからは「へぇ、私たちの町が映画になるとこんなふうなんだ」という発見と驚きがあったはず。それはこのアーヴィン・チェン監督がカリフォルニアで生まれ育ったということと無関係ではないでしょう。
いろいろ複雑に絡み合って一瞬先が見えなくなったけど、ようやく夜が明けてきて “Tomorrow is another day” ではないけれど、新しい一日の始まりに自分も生まれ変わるような気分になれます。

3月公開の『台北の朝、僕は恋をする』という映画を見てきました。
この映画はエドワード・ヤン監督の弟子とされるアメリカ育ちの台湾人、アーヴィン・チェン監督の長編第一作です。

そして大好きな『ベルリン天使の詩』(1987)の監督、ヴィム・ヴェンダースが自ら「ドイツからの守護天使」と手を挙げて(やさしい彼らしい)製作総指揮を努めたそうです。エドワード・ヤン監督の作品はいつも楽しみにしていたのに『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)以来、作品が発表されないまま2007年に癌で亡くなったと聞いたときにはほんとうにショックを受けました。
その闘病中に傍にいて未完となったアニメーション作品『追風』の脚本の執筆を手伝っていたのがこのアーヴィン・チェン監督だそうです。

とても期待して試写室に向かいました。

入り口で受け取った資料は鮮やかな水色にショッキングピンクで”Au revoir Taipei”と書かれてあって裏には小さなエッフェル塔。
何だか可愛いな…と惹かれました。
でもいつものようにぱらぱら眺めただけで、予備知識なしで映画に向かいました。

台北の下町が舞台。
恋人がパリに行ってしまって、そのあとを追いたいカイという男の子が主人公です。
彼は両親の食堂を手伝いながら、本屋さんで(台湾に図書館が無いとは思わないけど)フランス語の教則本を毎日立ち読みしてフランス語会話を勉強しています。
その本屋さんで働いているスージーが何かとカイに心をよせます。
そのスージーのピュアで可愛いことといったら。

でも去られた恋人のことしか頭にないカイにはそれが見えてないよう。
同じ台北の下町の空の下、コンビニで働いていて同僚を好きなのに告白もできない心やさしいカオ(カイの親友)、何をしても「なんちゃって」がついちゃうような底抜け小悪党たち、年甲斐も無く(失礼!)恋に落ちてうっとりしている不動産屋の親父さん、やたらマッチョぶってる勘違い刑事とその恋人の話が並行して描かれていきます。

……ここまで読んで『エドワード・ヤンの恋愛時代』を思い出したあなたは映画通です。

いくつもの人々の話を重ねあわせて、それがだんだん絡まっていく。
脚本の構成力をベースに台北の町を、そしてそこに生きる人々のパワーをいとおしく思い、少し苦笑しながら描く。
登場人物の設定が師匠のと違って市井の人々なので、より一層躍動感を強く感じました。

「台北の朝」と題名にありますが、ほぼナイトシーンだけという印象。
そしてこの映画のすばらしいところは見終わったあとはたった一晩の話だったように錯覚するところ。
それぞれの人物たちを観客にある程度認知させるために何日かを描いたはずなのに、一晩に集約できているというのは「映画の時間」、つまりいま目の前で起きていることとして全て現在形であることを貫いていることが成功した証だからです。

それからここで撮られている台北の町がとても魅力的。
スタイリッシュに撮っているわけではないのにどこか外から来たひとの視線で描かれているから、多分地元のひとからは「へぇ、私たちの町が映画になるとこんなふうなんだ」という発見と驚きがあったはず。
それはこのアーヴィン・チェン監督がカリフォルニアで生まれ育ったということと無関係ではないでしょう。
いろいろ複雑に絡み合って一瞬先が見えなくなったけど、ようやく夜が明けてきて “Tomorrow is another day” ではないけれど、新しい一日の始まりに自分も生まれ変わるような気分になれます。