10年以上前のことだ。
そのころ私は、仕事と仕事の合間にまとまった休みが取れると、フランスの田舎町に遊びに行っていた。
東京の暮らしは、無休に近く、深夜早朝を問わずに仕事をしていたので、休みをまとめて海外で消費していたのだ。
その様子は拙著『ブルゴーニュの小さな町で』に詳しい(ので、機会があったらお目通しくだされば幸いです)。

数週間から1ヶ月程度の滞在なら、パスポートさえあればOKの時代。
けれど、あるとき、滞在先の家主から「今後、我が家に住むときは、1週間程度でも届け出が必要になるかもしれない」と言われた。
当時、外国からの不法滞在者に神経をとがらせ、排斥しようという動きが俄に盛りあがり、私のような休暇目的のショートステイにも、しっかり法律適用になる勢いだった。
だが、すぐに何人かの著名人が、「私の家で雇ってるメイドさんは不法滞在者なんだけど、だったらまずは私を逮捕して!」「私の家には外国からのお友達が長く逗留するけど、そんなのいちいち届けるなんていやよ。そんな私は法律に触れるから逮捕すればいい!」みたいなコメントをメディアに次々寄せた。
中には政府の要人もいた。
もちろん、治安を脅かす悪質な不法滞在者は取り締まるべきだが、そうじゃない分にはいいじゃない、しかも、不法に滞在する気もない外人まで厳しく取り締まろうなんて! と反対する意見が早くも世論を動かしたのだ。
ただその時は、選挙で内閣が代わってしまい、実際には取締りにも至らず、うやむやになったように記憶している。事実、その後も渡仏して、家主に家で何度も滞在したが、私は届け出なんて一度もしなかった。
しかし、このとき、そうか、著名人の力ってこういうものなんだなと、実感した。
日本では、同じような問題が起こったとき、著名人と言われる人たちがこんな行動をとるだろうか? と。
フランス人の友人達がこのとき教えてくれたのは、この告発は1971年のManifeste des 343(343名の宣言)がもとになっていると。

当時、フランスでは、妊娠中絶が法で罰せられていた。
たとえそれが望まない、暴力を受けた結果の妊娠であっても、中絶は犯罪となった。
「産む産まないは、女性が決めるべき!」その権利を獲得するために、「Le Nouvel Observateur」という雑誌に、343名の署名入りで「私たちは、危険な状態で、違法な中絶を行った。逮捕するならしなさい!」と宣言した。

私たちも知っている大女優・大作家らの名が連ねられていた。
カトリーヌ・ドヌーブ、ジャンヌ・モロー、フランソワーズ・サガン、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、マルグリット・デュラス・・・・・・「L’UNE CHANTE, L’AUTRE PAS(邦題 歌う女・歌わない女)」という女性が人生を選択して行く権利を問う映画があったが、そのアニエス・ヴァルダ監督も、署名していた。

この宣言によって、各界で活躍するオピニオンリーダーたちが、次々と犯罪者となることについて、世間は考えた。
もしかして、法律そのものが、世の中の現状に合ってないんじゃないか? と。
翌年、具体的な事件として、性暴力を受けて中絶した16歳の少女の裁判で、中絶禁止法自体が違法であるとの見解から、少女と中絶を助けた母親は無罪となった。
フランスに端を発したManifeste des 343はドイツなどヨーロッパ各国に波及していき、中絶は合法化に塗り替えられていった。
そう。70年代以前のヨーロッパは、今のように進んだ国ではなく、逆に保守的であった(キリスト教の教えからいえば、当然のことであったから)ことを、改めて知ったのであった。

さて、今、何故、Manifeste des 343のことを思い出したかというと、4月1日に、大相撲の八百長問題に対し、関与した力士や親方を追放処分に、というニュースが流れたからだ。
国技に八百長は相応しくない。
小さいときから、相撲が好きで、手に汗握って勝負の行方をハラハラしながら見てきたファンとしては、残念無念でならない。お小遣いはたいて、国技館のチケットも何度か求めたし!

不正に対して厳しい処分は合って当然だ。
けれども、不正を認めたり、証拠があるからと疑わしき者だけ処分して、それで、膿を出したことになるのだろうか?
この流れでいくと、国技として綿々と受け継がれていくべき大相撲そのものが終わってしまうんじゃないかという危機感がある。
日本の文化の大きな一部が消滅するのだ。それを黙って見ていていいのだろうか?(最近、両国に住む友人の家に遊びに行ったのだが、国技館はあまりにもシーンと寂しく「町も活気ないからやばいんですけど」と友人が漏らしていたし・・・・・・)

むしろ逆じゃないかな。そういう体質があったということは、世間に曝されたのだから、関与したとされる人たちも含め、追放とかじゃなくて、むしろ一緒になって再生し、大相撲文化を新たに盛り上げていく方向には向かないのだろうか?

(例えば、場所は開催できなくても、被災地の避難所を巡って、子ども達と相撲取りながら、支援活動をして、一緒に復興を目指すとか、どんどん活動してほしいと思うが・・・・・・)

そもそも世の中には“出来レース”が存在する。
事前の根回し、コネに頼る、裏から手を回して・・・・・・一点も曇りが無く、やましいことは何一つしないで、生きてこられた人間が何人いるだろうか?
イエス・キリストは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」と言った。
果たして私たちの誰が、石を投げられるだろうか?

Manifeste des 343と、大相撲の問題を同じ土俵で論じるには短絡しているとは思うが、表層は異なっていても、根本的なところで繋がった問題のように思えるのだ。
「まずは私に石を投げなさい!」と、別のところから、BIGなセレブたちがこぞって声を上げたりはしないのだろうか? と思った次第だ。

今、未曾有の震災に立ち向かって行く中で、さまざまな問題が起きている。
怒りの矛先が、スケープゴートにばかり集中したり、何でも自粛のような右へならえの風潮があったり、風評被害が蔓延していく流れに、「待って、ちょっと、考えようよ。石を投げる前に、自分のことも考えたら、自分に石が投げられるんじゃない?」と、物申す意見が、世の中を次の段階に進めてはくれないかと、期待したいのだ。

今の時代に、Manifeste des 343のやり方がいいとは言わない。
だが、Manifeste des 343は歴史を変えた大きなダイナミズムとなった事実を、もう少し、日本でも知られるようになればと思う。
Manifeste des 343には、女優、作家、映画監督など、アーティスティックなクリエーターが多く関わった。
重々、わかっていることだが、ものづくりという仕事は、世の中に影響を与え、歴史が向かうあるベクトルを示すことだと、つくづく思うのだ。

ACの広告で著名人が、当たり前のことを言っているけど、みんなわかってる当たり前のことだからだんだ、辟易してくるんだろうなあ。
協力した著名人も、それは心外というものだ。
しかし、著名人には、「頼まれて言う」ではなく、「自らとんでもないことを言える」パワーがある。
結果、世の中を、もっと住みよい、暮らしやすい、民度の高い方向へ働くベクトルであれば、世論は支持するだろう。

何人かの著名人の顔が思い浮かぶのだけど・・・・・・。