このブログを読んでくださっている方の中に今回の地震で被害に遭われた方はいらっしゃるでしょうか。

空から絨毯爆撃を受けたあとのような否、それ以上の悲惨でしかも広範囲の被災地を映像で見て打ちのめされ、そしてその後も続いている余震(地震とあらゆる情報)に身体と心を揺さぶられ続けました。
しばらくは何も手につかず、宙ぶらりんの日々を送ってしまいました。

今回ほど自分が無力であることを思い知り、またある種の無常感に囚われて一歩も前へ踏み出せなくなったことはありません。

いっとき被災地の子どもたちが健気に振る舞っている姿に感動したり、自らの危険を顧みずに被災地で活動する自衛隊や消防庁の人たちの姿に涙したりして自分もこうしてはいられないと立ち上がれそうになったのですが、続いてもたらされた原発からの放射性物質の漏洩の危機とその長期化、そして不自由な生活を余儀なくされている方の窮状の長期化を知るにつれて、また重たい気持ちに塞ぎ込んでしまいました。 

この間、自分がどういうときに文章を書くという行為に向かうのかということを時折考えていました。
おおまかに言って何かに刺激を受けるということが契機になっているのは前提になっているように思います。
映画や展覧会に感動したり、街を歩いていてふと目撃したこと、或いはひとから聞いた話が過去の経験と結びついて新たな思考のきっかけになったり、たぶんあらゆる情動が溢れ出してどうにか形にしないではいられないという状況になったときなのだと思います。

そうした情動は喜びや楽しさだけでなく、怒りや悲しみというネガティウなものも書き出す力を与えてくれる作用としてストレートに働くように思います。
そういう意味では今回の出来事には怒り、悲しみを増大させるものに充ち満ちていたはずです。

でもどうしても手が動かなかったのは、今回の一連の出来事はあらゆることが起こり過ぎて、ある種許容量を超えてしまったのでしょう。
続々もたらされる情報の多さ、悲惨さ、出口なしの状況…。

そうして新しい月に入って徐々に平静を取り戻しつつあった私の身近で、ルーティンに埋没しがちな日常というものがある日ごそっと底抜けになるのだという現実(個人的な出来事ですが)にも直面させられました。 

そんな中、ツイッターだけは続けていて、震災からひと月立った頃に読み直してみたら、自分でも驚くほど様々なことが書き込んでありました。
それを読みかえすうちにそのときのことをかなりリアルに思い出し、胸がざわざわしてきました。
わずか140字のMEMOに近いもの—不特定多数を相手にではなく、仲間や自身に向かっての「つぶやき」—なのに、これを元にもっと論旨を持った長いものに発展させることもできるのです。
何も書かなかったより数段良かったのだという事実に驚きました。

文章を書くことは、客観化する行為です。
不特定多数のひとが読んでも理解できることが大前提だから、ある単語を発することによって共有できる仲間内との話し言葉ではない、むしろそうした個人的な経験をどう表現するかによってより多くのひとと共感できるよう志向することが書く行為だと言えるでしょう。 

揺さぶられ続けられたこの時間を通り過ぎたあとで何を書くのか?
報道畑のひとなら直接的に出来事を積み重ねて行くのでしょうが、お話を書いてきた我々は何をどう昇華して伝えるのか…。
書いてみたら何も反映されていないように見えるのかもしれません。
手探りではありますが、またぼちぼちこのブログを更新して行きたいと思います。 

迷ったときは原点に戻る。
文章を書くという自分の存在理由を見失わないように。