「もしあの時、違う道を選んでいたなら…」

人生においてひとは誰しもそう思うことがあるようです。

進学をどうするかに始まって、一生の職業を何にするか、そしてパートナーを誰にするか…人生におけるこうした大きな選択はそのひとのその後を大きく左右するでしょう。

でも私はよく若いひとたちに大きな選択の前の小さな選択が実は重要なのだと言います。
日々のNEWSをどのチャンネルで見るか、限られた余剰のお小遣いを何に使うのか、毎月買う雑誌を何にするのか、外食する時にどんな店を選ぶか、はたまた何を着るか…。
日常の中で得られる知識や情報の集積、どこで誰とどのように出会うかということが如何ににそのひとの形成に影響を及ぼし、どこへ向かわせるかに極めて重要な要素だと思うからです。

 『ミスター・ノーバディー』という映画を見ました。
明日30日から渋谷のヒューマントラストシネマで公開されます。
2092年、医学や科学の発達によって人間は死から解き放たれた存在となっています。
そんな中最後のモータルな(死ねる)人間、ニモ・ノーバディ(118歳)が死を目前にして自らの過去を語り始めます。

そこにはいく通りもの人生がパラレルワールドとして存在しています。
ニモは少年時代(9歳)にお小遣いを手に握りしめて町のお菓子屋さんに行きます。
どれにしようかと迷った挙げ句、何も買えずに店をあとにします。
帰り道、ニモに微笑みかける可愛い三人の少女たちを見て目をくるくる回し目移りしながら誰がいいんだろうと考えます。
結局、「もし選択しなければ、全ての可能性は残るんだ」とニモはお菓子からも女の子たちからも素通りして行きます。

しかし母の心変わりをきっかけに離婚を決意した両親のどちらについて行くのかという究極の選択がニモに迫られます。
傷ついて淋しそうな父を見捨てて都会へ旅立つ母について行くのか、父と田舎暮らしを続けるのか…。
9歳のニモには辛くて重すぎる残酷な瞬間です。
父と残った生活、母と都会へ行った生活。
そして三人の少女がニモと様々な形で出会ったり別れたり、そして成人してそれぞれとの結婚生活を送る。
幾重にも錯綜したパラレルワールドが描かれて行きます。

脚本に6年(!)、撮影に半年、そして編集になんと一年半かけただけあって、微妙に時間軸が歪んでいくパラレルワールドの様々な空間が織りなす映像には目眩しながらも瞠目してしまいます。
ずっと見続けたあとで、もしかしたら118歳になったニモが語ってきたパラレルワールドは全て9歳のときの切迫して追いつめられた状況(父と残るか母と行くか)でのフラッシュフォワードだったのかと一瞬思わせるのですが、定かではありません。

とにかく人間の持つ想像力の底知れぬ豊かさによって成立した幾重にもつづら折りが重なりあった時空間を遊泳する感覚を思いっきり堪能してみてください。
これは映画でしか味わえない感覚だといえます。
後悔の臍をかみながら「あの時ああしていれば…」と思うのは後ろ向きで、できれば止めたいですよね。
あらかじめ「全ての可能性は残るんだ」と何かを選択する前に様々なことを夢想するのは楽しくておすすめですが。
そして何かを選択するってことは何かを諦める、或いは捨てることだということも覚悟しなくちゃと改めて思いました。