私には不思議な念力があります。
ちょっと尊敬していて、実物に会ってみたいなと思うひとに偶然に電車の中やレストランなどで会えてしまうのです。

松本清張、武満徹、谷川俊太郎、吉田喜重…
そうしてドイツ人で日本には滅多に来ないのだから絶対会えるはずもないと思っていた、
ヴィム・ヴェンダース。
『パリテキサス』や『ベルリン天使の詩』を見て完璧に惚れ込んでしまっていた時期です。
彼の瞳の誠実で真直ぐな温かさも、握手した手の平の感触も、ふんわり纏っていた香りもくっきりと憶えています。

でもその後ベルリンの壁が崩壊したあとの彼の作品はどうにもつらくなってしまいました。
映画を撮るという創作行為が自分の国の有り様にこれほどまでに支配されてしまう、そのことをどう考えたらいいのか途方に暮れました。
『夢の涯てまでも』が最後だったと記憶しています。
ナイーヴな彼は映画を撮る技術のめざましい進歩にも完全に目を眩ませて完全に自分を見失っているように感じました。

今年始めに見た『台北の朝、僕は恋をする』がなかなか良くて、
その製作総指揮がヴィム・ヴェンダースでした。
久しぶりに彼の消息に触れた矢先に、大好きだったピナ・バウッシュのドキュメンタリーを3Dで撮るらしいという話が舞い込んで来ました。
そうしてだんだん彼への興味のテンションが上がっていきました。

バウスシアターの爆音上映で見た『パレルモ・シューティング』 
カメラマンのフィンは撮った写真に大胆な加工を施して独特の世界観を創出する売れっ子で、最近母を亡くしたばかり。
時間に追われ、どこか空虚な穴に落ちてしまっているのか小刻みで浅い睡眠しかできなくて眠っても悪夢にうなされる。
その彼が祖父のような老人に諭され、母のように心が温かくて美しい女性にやさしく包まれ、そして父親のような存在との和解を通して、次第に自分を取り戻していくさまを描いていきます。

しばらくぶりに見たこの映画で、私は主人公フィンにヴェンダース自身を重ねていました。
彼は以前「僕の映画はフランスで認められてようやくドイツ(自国)の人たちが見てくれるようになった」と語っていました。
そこから彼の快進撃が始まったのです。
潤沢な資金も最新鋭の機材も思うがまま。
そして尊敬してやまなかった小津組の厚田雄春(撮影)や笠智衆(俳優)とも日本で仕事をし、大好きなヨウジヤマモトをヴィデオで撮影したり、ドイツ人にとって大変名誉なあのバイエルン歌劇場でオペラの演出をしたり…etc.
世界規模の時代の寵児となって平常心を保っていられるひとはそういません。
あのナイーヴな彼には余計に無理だったのでしょう。
映画の主人公フィンと同じようにヴェンダースにもいろいろなこと—別れや出会い、さまざまな葛藤—があったであろう、そのこと思わずにはいられませんでした。
だからか、主人公のフィンの心に寄り添い、前半のスピーディなPVぎりぎりのカッコいい映像も、後半のシシリー島での古い町並や自然の荒々しい風景の中を心もとなく、でも楽しんでさすらう感覚に浸り、美しいジョヴァンナ・メッゾジョルノの優しさと温かさにうっとりし、最後まで気持ちよく心の旅ができたように感じました。

ヴェンダースの次回作は‘09年に亡くなったピナ・バウッシュのダンス作品を撮った3Dです。
次回作を待つ映画監督が増えたしあわせと新作への期待でドキドキしています。

またどこかでばったり会えたら言いたいことがたくさんあるんだけどな。