新しい年を迎えました。
昨年は辛いことの多い年でしたが、これからの一年は良い年でありますようにと願わずにはいられません。
自分にできることは些細なことしかありませんが、だからと無力感に囚われて手も足も出さないのではなく、その小さなひとつひとつを丁寧にと心がけていこうと思います。

昨年はツイッターというソーシャルネットワークを通して「映画好き」という共通点を持った人たちと知り合うことができました。
皆さん私よりも年下の、映画とは別のお仕事をしながら余暇の睡眠時間を大幅に削ることで映画に費やす時間を捻出しているひとが主です。
彼らとたくさんの映画を見たり、話をすることで私の映画を見るレンジが広がってきたのは我ながらうれしいことです。
今年もたくさんの映画を見て、世界の広さや文化の多様性、人間の生の深淵さを感じられたら…そしてそれを少しでも皆さんに伝えられたらと思っています。

先日『タンタンと私』というドキュメンタリー映画を見て来ました。
昨年末から公開されているスピルバーグ監督の3D映画『タンタンの冒険』の原作を書いたベルギーの漫画家でヨーロッパ・コミックの父と言われる、エルジェのドキュメンタリー映画です。
エルジェがどんなひとだったのか、興味を持ったフランス人の学生のインタビューのカセットテープをもとに、残された映像や再現映像などを交えアンダース・オステルガルド監督はエルジェの素顔に迫っていきます。
前髪が逆立った可愛い男の子、タンタンが愛犬スノーウィとともに世界中を冒険するあの漫画には、子どもの頃ディズニーとは少しテイストの異なった、ある種ヨーロッパ的な絵としてなんともいえず憧れの気持ちを抱いたものです。
ヨーロッパ各国はもちろん、アメリカ、ロシア、中国、そして月へも行く冒険活劇を描いたエルジェがいったいどのような人生を送ったのか…興味津々で試写に向かいました。

冒頭、エルジェが描いた真っ白な雪原に墜落した一機の小型飛行機の絵をしずかにとらえます。
それは想像だにしなかったエルジェ自身の心に巣くった白い闇のようなものを象徴していたのだとあとで気づきます。
エルジェは活動的なタンタンの生みの親として、或いは分身として世界中を飛び回ってあれこれ見聞したのではなく、執筆のために部屋に閉じ籠り、一時は心を病んで描けなくなったほどでした。特に冒頭に出てきた『タンタンチベットへ行く』の頃が一番辛い時期だったようです。
夢のような物語を作るひとが必ずしも夢いっぱいの生活をしていたとは限らないという典型でした。
ベルギーを占拠したナチスドイツに協力したという批判から活動停止を余儀なくされた時期もありますし、身に染み付いたカトリック教徒としての雁字搦めのモラルから自らを解放しようと生涯もがき続けました。

エルジェの人生のこうした側面を見ながら、市川森一先生の作品に『悲しみだけが夢を見る』というのがあったのを思い出しました。
その題名には先生のおかあさまが出産後、肺病に罹ってサナトリウムに入院なさっていたからはなればなれに暮らし、ついには先生が小学生のときお亡くなりになってしまった、その辛くてさみしい幼年期や少年期にたくさんのお話を作ったり漫画を描いたという経験が反映されています。
現実が哀しいからせめて想像力の翼を拡げて夢物語を作るという。
エルジェも自分の思い通りにならない現実に直面しながら、あのたくさんの冒険活劇を描いたのだと思うと、少し陰影のある絵の秘密に触れた気がしました。
試写室を出てもう一度改めてエルジェの漫画を読みたいと思いました。

辛い想いを何か他のものに転換する力を持てること、それは人間の優れた能力のひとつだと思い出し、しっかり前を向く気持ちを得たのでした。