年末に続いてショックな訃報が届きました。
ギリシアのテオ・アンゲロプロス監督が『エレニの旅』で始まった三部作の完結編『The Other Sea』の撮影中だったのに非番の警官が運転するバイクにはねられ、運ばれた病院で亡くなったというのです。
新作が完成して公開されるのを心待ちにしている何人かの監督の中でもアンゲロプロスは別格の尊敬の対象でしたから、最初はその事実を受け止めることさえできずにベッドでお布団を被り数時間茫然としてしまいました。
そしていまだにその不在が現実のものと思えず、大切な故郷が消失したかのような喪失感に苛まれています。

アンゲロプロスの映画との出会いは大学生の頃、吉祥寺のバウスシアターで見た『旅芸人の記録』でした。
いわゆるストーリーというものを軸に綴られていくのではなく、もっと大きな、歴史と同義の物語に呑み込まれて行く人間の姿を引きの画で描くことによって、見た者をその映画が描く世界の様相の中へと取り込み、どこか遠くの彼方へと連れ去ってしまうという初めての映画体験を全身で浴びました。
すぐには言葉にできないほどの衝撃を受け、翌日また見に行ったのを思い出します。

母国ギリシアでは寝付きの悪い子にはアンゲロプロスを見せなさいと言われているとかいないとか、そんなことが言われるくらいの長回しが有名です。
長回しの現場はフィルムの長さに限りがあるから繋ぐ作業が的確に行なわなくてはならず、そのためにスタッフには緻密な段取りが要求され、また役者には演じるということを超えてその場の生をまさに生きるという極度の緊張感の持続を強いたことが想像できます。

見る側にとってもそれはいま目の前で起こっているのではと錯覚させるほどの臨場感に溢れた、でも決してお仕着せではない彼独特のメティエ、そして曇天に幾重にも折り重なる水平線や地平線の渋くて深みのある画が特徴の彼の映画は何度見ても飽きるということがなく、その時間や空間の中に躊躇なく埋没でき、長い旅をしてきたほどのしびれたような疲労感でさえ心地よく感じました。
ほんの短いフッテージを見ただけで「これはアンゲロプロスの作品だ」とわかる稀有な映画作家でした。

去年の東京国際映画祭で見た『黒澤その道』では彼へのインタビューもありました。
彼がパリに留学中にシネマテークで切符のもぎりのアルバイトをしていたとき、黒澤明の『羅生門』がかかったのを忍び込んで見て、生涯影響を受けたと真摯な態度で話していたのが印象に残って、若いアンゲロプロスのそのときの様子を想像したのを思い出します。

昨年末アテネ・フランセでの講演でポルトガルのペドロ・コスタがEUに加盟する頃の自国への幻滅感を率直に述べていましたが、ギリシア人のアンゲロプロスも同じような想いだったのかもしれません。
以前新聞のインタビューで「(EUの)共存共栄の繁栄はまやかしだった」旨述べていました。

彼が撮影中だった新作は大恐慌前のギリシアが舞台です。
さまざまな悪状況の中、芝居小屋での上演を諦めて路上で『三文オペラ』を演じていた劇団に大勢のひとが加わって最後はオペラになるという流れだったと聞きました。
ギリシアでは全人口に対して公務員の占める割合が6割近いそうです。
みんなが国力を顧みることなく、国にぶら下がっている状況だと言えるでしょう。
深読みかもしれませんが、彼はギリシアの人びとが自力で何とか再生する意志を持つことを望み、自作に重ねあわせていたのではないかと思います。

中継で見ることができたアンゲロプロスの葬儀はまさに彼の映画のようでした。
彼の黒くて大きな棺が教会の外に運び出されると、群衆から拍手が沸き起こり、雨でもないのに黒い蝙蝠傘をさした人たちが棺のあとに列を成して墓地へと進んで行きました。
無駄だとわかっていても「これは悪い冗談だ」と誰か言ってくれないか…といまでも思ってやみません。