SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の代表格であるフェイスブックが新規株式公開を申請して、その時価総額が日本でいうとトヨタに次ぐNTTドコモクラスの規模になるだろうと、先日のニュースで大々的に報道されていました。
フェイスブックについてはデヴィッド・フィンチャーが映画『ソーシャル・ネットワーク』で当時ハーバードの学生だったマーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げた話をまるで良くできたトークショウのように描いています。
現在、弱冠27歳の彼は幾度か取沙汰された大企業による買収話を断っていまもCEOに就いています。

他人事のように書いていますが、私もフェイスブックを、そして広義のSNSであるツイッターを日々活用しています。
フェイスブックは「友だちになる」「いいね!」というフレーズにいまひとつ馴染めずにあまり活用できていませんが、ツイッターに関しては必要な情報の端緒の大部分をそこから拾っています。

ツイッターではリストというものを自分でつくることができます。
例えば新聞社やTV局など世界中の報道関係のリスト、出版関係のリスト、電車の運行状況や地震情報や自分が住む地方自治体などのインフォメーションのリスト、誰かが作家や哲学者の箴言を著書から拾い出してつぶやくbotというもののリストなどをつくっていて、だいたい一日に一回チェックします。
そこから必要なものは深く調べるためにネット上で検索したり、さらに必要に応じて書籍を求める参考にしたり、あるいは映像を見るためにYou TubeになければTVのニュース番組で確かめたりというふうに活用しています。

ツイッターは140字で書かれていますから、見出しというよりももっとエッセンスの詰まった目次といえます。
日々自分好みに更新、再構築できるので便利で有効なツールになっています。
またツイッターは情報を得るだけでなく、さまざまなひととの出会いの場にもなっています。
ツイッターを始めたお蔭で映画好きのひとたちと大勢知り合い交流できています。
見たい映画やTVの番組を逃すこともなくなりましたし、こういうのが好きならこれも見た方がいいですよというご教示もいただけるのでほんとうにありがたいことこの上ありません。

それは単なる情報交換に留まらず、いまでは映画館や試写室で会ってお茶や食事をご一緒しながら映画についてたくさん話をしたり、仲間うちの誰かが地方へ赴任するからと集まって送別会をしたり、新年会をしたり…誰か曰く「これって『オフ会』なんじゃない?」という発展ぶりなのです。

「オフ会」というのはネットワーク上でやり取りしている仲間が実際に会う、数少ない機会のことをさします。
それはネット依存で引き蘢り気味の若い世代のものだと思っていたのに自分がそこにいるとは…しかもそこの平均年齢をひとりであげているのですから我ながら意外で驚きでもあります。

ですから同業者の先輩がオフ会なんて「大丈夫?」と心配してくださり、自分はフェイスブックでちょっとしたトラブルがあったから注意しなさいと言われたことも無理からぬことと思いました。
昨年の東京国際映画祭のときにツイッターの映画仲間のひとりを紹介したら「ちゃんとしたひとだね」とそれからはお小言をいわれなくなりました。

ひととひとを繋ぐツールとしてのSNSを自分でも不思議なくらい活用できているのですが、私のネットワークの共通項である「映画」の力について最近認識を新たにしているところです。
好きな映画を共有するということは個人それぞれのあらゆる深い要素(人生観や美意識など)に関わっているものだから、ネットワークを離れて実際に会ってみても違和感がないのではないかと気づきました。
共通項が例えばグルメやファッションやスイーツだとこうはいかない気がします。もちろん何でも突き詰めていけばそうではないのかもしれませんが。

2月4日、ジョン・カサヴェテス監督の命日に亡くなったベン・ギャザラ(彼の映画の大事な俳優)への追悼の言葉がツイッター上にいくつも並びました。
私でさえカサヴェテスは同時代のひとという感じではないのに、若い彼らのつぶやきを読んでいると時を超えた繋がりを実感します。

映画はいつ見てもそしてどこの国のものを見ても何か強い力でひととひとを結びつけるものなのだと改めて強く思い始めています。

現代的な「飛び道具」であるSNSが端緒となり、そこに映画が介在することで時空を超えてひととひとが繋がっていく不思議さをしみじみ噛みしめています。