Archive for the ‘エッセイ’ Category
久しぶりにこってりしたイタリア映画を見ました。
マルコ・ベロッキオ監督の『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』です。
ここ数年、教えに行っている映画学校の新学期が始まりました。
以前行っていた大学の映画学科でもそうでしたが、何年か続けていくとあらゆる意味での学生の力というものに、学年ごとで波があるとわかってきます。
2年生には映画概論の講義、3年生には脚本ゼミをというスタイルでやっていますが、今年の3年生がちっとも教室に来ないのです。
地震によって引き起こされた原発事故がきっかけとなってこれからのエネルギーをどうするかという議論が日本のみならず全世界で活発になっています。
「二酸化炭素を排出しない」とか「安い」とか原子力発電を推進するためにさまざまなアドヴァンテージがあるように言われてきましたが、今回の事故によって我が国のような地震国において原発の安全は実は「砂上の楼閣」や「まやかし」であったと証明されてしまったからです。
そんな今、秋に公開する予定だった『100,000年後の安全』というドキュメンタリー映画が緊急公開されました。
「もしあの時、違う道を選んでいたなら…」
人生においてひとは誰しもそう思うことがあるようです。
進学をどうするかに始まって、一生の職業を何にするか、そしてパートナーを誰にするか…人生におけるこうした大きな選択はそのひとのその後を大きく左右するでしょう。
でも私はよく若いひとたちに大きな選択の前の小さな選択が実は重要なのだと言います。
日々のNEWSをどのチャンネルで見るか、限られた余剰のお小遣いを何に使うのか、毎月買う雑誌を何にするのか、外食する時にどんな店を選ぶか、はたまた何を着るか…。
日常の中で得られる知識や情報の集積、どこで誰とどのように出会うかということが如何ににそのひとの形成に影響を及ぼし、どこへ向かわせるかに極めて重要な要素だと思うからです。
(さらに…)
羽田野さんのツイッター話を受けて・・・・・・、私もツイッターにまつわるお話しを。
私もツイッターはふたつの目的で使っている。
一つは思いついたことや、記憶に甦った事柄を忘れないうちにメモしておく『備忘録』として。
以前はPCについてるメモ帳に書き込んでデスクトップに置いていたけど、ツイッターにつぶやくことで、誰かがそこにさらなる情報を書き込んでくれて、情報に厚みがつく。
知らず知らずにいろんな情報が収集でき、これもツイッターの優れた機能。
ツイッターから派生したツイログに連動させておくと、自分のつぶやきがアーカイブされ、過去ログが全て読めるのも便利だ。
さて、最近、フランスの名言「人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」についてつぶやいたら、結構RTによる反響があった。
このブログを読んでくださっている方の中に今回の地震で被害に遭われた方はいらっしゃるでしょうか。
空から絨毯爆撃を受けたあとのような否、それ以上の悲惨でしかも広範囲の被災地を映像で見て打ちのめされ、そしてその後も続いている余震(地震とあらゆる情報)に身体と心を揺さぶられ続けました。
しばらくは何も手につかず、宙ぶらりんの日々を送ってしまいました。
今回ほど自分が無力であることを思い知り、またある種の無常感に囚われて一歩も前へ踏み出せなくなったことはありません。
(さらに…)
10年以上前のことだ。
そのころ私は、仕事と仕事の合間にまとまった休みが取れると、フランスの田舎町に遊びに行っていた。
東京の暮らしは、無休に近く、深夜早朝を問わずに仕事をしていたので、休みをまとめて海外で消費していたのだ。
その様子は拙著『ブルゴーニュの小さな町で』に詳しい(ので、機会があったらお目通しくだされば幸いです)。
数週間から1ヶ月程度の滞在なら、パスポートさえあればOKの時代。
けれど、あるとき、滞在先の家主から「今後、我が家に住むときは、1週間程度でも届け出が必要になるかもしれない」と言われた。
当時、外国からの不法滞在者に神経をとがらせ、排斥しようという動きが俄に盛りあがり、私のような休暇目的のショートステイにも、しっかり法律適用になる勢いだった。
だが、すぐに何人かの著名人が、「私の家で雇ってるメイドさんは不法滞在者なんだけど、だったらまずは私を逮捕して!」「私の家には外国からのお友達が長く逗留するけど、そんなのいちいち届けるなんていやよ。そんな私は法律に触れるから逮捕すればいい!」みたいなコメントをメディアに次々寄せた。
中には政府の要人もいた。
もちろん、治安を脅かす悪質な不法滞在者は取り締まるべきだが、そうじゃない分にはいいじゃない、しかも、不法に滞在する気もない外人まで厳しく取り締まろうなんて! と反対する意見が早くも世論を動かしたのだ。
ただその時は、選挙で内閣が代わってしまい、実際には取締りにも至らず、うやむやになったように記憶している。事実、その後も渡仏して、家主に家で何度も滞在したが、私は届け出なんて一度もしなかった。
しかし、このとき、そうか、著名人の力ってこういうものなんだなと、実感した。
日本では、同じような問題が起こったとき、著名人と言われる人たちがこんな行動をとるだろうか? と。
フランス人の友人達がこのとき教えてくれたのは、この告発は1971年のManifeste des 343(343名の宣言)がもとになっていると。
『レイチェル・カーソンの感性の森』 という映画を見てきました。
レイチェル・カーソン(1907-1964)はノーベル平和賞を受賞したアル・ゴアが「彼女がいなければ、環境運動は始まることがなかったかもしれない」と賞賛したことによって再び注目を集めた、『沈黙の春』(1962)を書いて化学物質の環境へ与える影響についての問題意識を人々に呼び起こした女性です。
この作品はカイウラニ・リーという女優がレイチェル・カーソンの著作や活動に感銘を受け、一人芝居の脚本として仕上げ、18年間演じてきたものをインタビューに答えながら海辺の別荘での暮らしぶりをインサートする、ドキュメンタリー形式で映画化したものです。
3月公開の『台北の朝、僕は恋をする』という映画を見てきました。
この映画はエドワード・ヤン監督の弟子とされるアメリカ育ちの台湾人、アーヴィン・チェン監督の長編第一作です。
そして大好きな『ベルリン天使の詩』(1987)の監督、ヴィム・ヴェンダースが自ら「ドイツからの守護天使」と手を挙げて(やさしい彼らしい)製作総指揮を努めたそうです。エドワード・ヤン監督の作品はいつも楽しみにしていたのに『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)以来、作品が発表されないまま2007年に癌で亡くなったと聞いたときにはほんとうにショックを受けました。
その闘病中に傍にいて未完となったアニメーション作品『追風』の脚本の執筆を手伝っていたのがこのアーヴィン・チェン監督だそうです。
とても期待して試写室に向かいました。